ジュラシック・ワールド
ジュラシック・ワールドを観た。
以前から、ぜひ観たいと思っていたので今回ようやく念願かなったわけだ。
ジュラシック・パーク公開から21年。私は当時、まだほんの小さな子供だった。この前テレビでも放送されていたが、それを観ながら私は、名作は時代が経っても色あせないのだなと、改めてそう思った。
私はスピルバーグのファンでも何でもないが、ジュラシック・パークはSF界の歴史に刻まれるべき作品だ。
原作者のマイケル・クライトンも、それをあの圧倒的な映像で映画化したスピルバーグも、やはり天才だと言わざるをえない。
だがまあ、そんな御託はどうでもいい。
一人の映画好きな人間として、純粋に作品を楽しもうと思い、劇場に出かけた。
上映時間帯の関係もあり、吹き替えを観ることになった。しかも3D。
劇場で3Dを観るのは生まれて初めてだった。
今まで、3Dはもしかしたら気分が悪くなるのではないかという不安から避けてきたのだ。しかし前述したように、私には今回選択肢がなかったというわけ。
大好きなキャラメル味のポップコーンとコーラを買って劇場に入る。
お盆休みということもあり、大劇場にもかかわらず席はほとんど埋まっていた。私の席は一番後方の列の一番端っこだった。
両端に誰かが座っていると、どうにも落ち着かなくて映画に集中できないから、この席をチョイスしたのだが、まあ、典型的な壁際族である。
東宝系の映画館だったのだが、東宝系では、上映前の幕間のお知らせ映像で、山崎紘菜という若手の女優さんが出てくる。彼女を見るのも一つの楽しみではあるのだ。
大きな地球にUNIVERSALの文字がデカデカと踊り、映画が始まった。
予想した通り、人間がパクパクと食べられていた。大きな肉食恐竜に、頭上からかぷりとね。
ジュラシック・パークで耐性がついてしまったからだろうか、その食べっぷりときたら、見ているこっちも気持ちがいいくらいだ。
しかし、たまにあいつら不意打ちで襲ってきたりするから、びっくりしてポップコーンを盛大に床にぶちまけてしまった。
それでも、そんな不意打ちすらも私にとっては嬉しいのだ。当時と変わらないわんぱくぶりを見られて安心したし、子どもの成長を見守る保護者のような心境にすらなっていた。
さあ、もっとお食べ!
音楽も、ジョン・ウィリアムズのテーマ曲のままで、当時の興奮が押し寄せてきた。
「ロストワールド」と「ジュラシック・パークⅢ」ももちろん観たが、第一作ほど語るに値しないので省略。
何かとリメイクや続編が多いご時世だが、本作は安易に過去の栄光に乗っかってはいなかった。それでいて、当時を思い出すこともできる。
私は大満足して劇場を出た。
出るとき、階段を下りながら床に視線を送ると、あちらこちらでポップコーンが散らばっていた。
恐竜たちのわんぱくぶりに驚いたのは、どうやら私だけではなかったようだ。
救世主はかく語りき
暑い。
いや、夏だから当たり前と言えばそれまでなのだが、今年の夏はちょっと異常じゃないかと思う。
何やら東京の方では観測史上最長の7日連続猛暑日を記録したらしい。
小学生の頃の私なら、夏はこうでなくっちゃ、などと諸手を挙げて喜んでいたかもしれないが、20代になると、そんな余裕はなくなってくる。
何の余裕がないかって、体の一番てっぺんの方。
そう、頭髪である。
暑さだけなら、まだ私のハートは耐えられるだろう。だが、その暑さによってとめどなく頭から噴き出す玉の汗は、私の頭皮を蒸し、湧き出る皮脂によって毛根を窒息させる。しかもかゆい。
我慢できずに髪に指をうずめて掻きむしろうものなら、指を抜いたときに黒ずんだ毛根を伴って、5、6本は平気でからまってくる。
その光景には背筋が寒くなる思いだが、そんなことで涼をとってもうれしくはない。
髪が減れば多少は風通しがよくなるとかいう輩がいるけれど、心の中はいつでもホットでいたいわけ。you know?
私は、この抜け毛の加速が、今年の異常な暑さに起因するものなのかどうか考えてみた。
少年時代、私の髪はサラサラで、いわゆる坊ちゃん刈りだった。黒髪の美少年というにはほど遠かったが、まあどこにでもいるわんぱく小僧。
私の現在の毛髪戦線の戦況は、生え際がじりじりと押されてきている状況であるが、思い返せば、少年時代から、そんな予感はあった。
なんとなくそこだけかゆくなりやすかったし、汗の量も多かった気がする。毛の密度も、他の部分より小さい感じもしてた。
でも、それはあくまでも、そんな気がしてたというだけの話であって、成人してから、その部位から髪が抜けだすなんて思ってもみなかった。
ところが敵は、何年も前から布陣を整え、一斉突撃する時を、虎視眈々とねらっていたのだ。
まあ、当時の私にそれを防ぐ術があったかと言われれば、もちろんなかったし、現在も手をこまねいている状況だが、だからといってこのまま敗れ去るつもりはない。
まずは防衛ラインをしっかりと築き、相手の隙をついて、あわよくば失われた領土をとりもどしたい。
しかし、現実はそう甘くはないのだろう。
もし無惨にも、ジヒドロテストステロン(男性型脱毛症(AG)を引き起こすホルモン)の猛攻により、全滅させられた場合はどうしよう。
最初からこんな弱気ではいけないのはもちろんわかっているが、一応そのときのことも私は考えずにはいられなかった。
検索エンジンで、「ハゲ 髪型」とか入力すると、ちょっとおでこが広くなったり、髪の密度が小さくなった男性の、いろんなヘアスタイルが、カタログのように映し出される。
自分の抜け毛具合と見比べて、「こんな髪型なら、ハゲても悪くないかもしれない」などと一瞬でも考えてしまった私は、やはり性根からして敗者なのだろうか。
しかし、そんなサイトやスレッドをいろいろと見ていると、ふと、偉人や有名人の名言集(?)みたいなサイトに流れ着いた。
そこに彼はいた。
ハゲof ハゲ、キングof ハゲ、ハゲの申し子・・・
そう、かの有名なハリウッドスター、ブルース・ウィリス閣下である。
彼はディスプレイの中で、アップの顔にダンディな微笑みを浮かべてこう言っていた。
「男は髪の量で決まるんじゃない。ハートで決まるんだ!」
私は彼が、頭皮世界が滅亡を迎える際に天より降臨するという、救世主(メシア)に見えた。
私はそのアップの彼の写真をみながら、両手を胸の前で組んでいた。
そうだ、我々にはメシアがついているではないか。不毛な荒れ果てた大地にも救いはあるのだ。
そう思った。
しかしながら、私がその救済を求めるには、あまりにも私の髪はまだ多いように思える。
メシアの境地を拝む前に、私は最後の一本になるまで闘おうと思う。
言い回しって大事
もし知人の浮気現場にばったりと遭遇してしまったら・・・。
幸いというべきか、私にはそのような経験はないし、今後もないことを願うばかりだが、こんなとき、一体どう対応すればいいのだろう。
ある本を読んだことがきっかけで、そんなことを少しだけ考えた。
近所のブックオフに立ち寄ったときに、何の気なしにふらふらと棚を眺めていたら、ふとある本に視線が留まった。
薄い背表紙には、『ピンチを切り抜ける「とっさの一言!」』と書かれていた。
私は自然とその本に手を伸ばしていた。
私自身、会話があまり上手ではないため、とっさの切り替えしができなくて困ることがよくある。そのため、何か有益なフレーズでもないかと気になったのだ。
税込108円でこの本を購入し、家に帰って早速読んでみた。
文頭のシチュエーションも本書に書かれていた場面の一つである。
私の性格なのだろうか、
つい『自分の立場をガードする「とっさの一言」』という章と、『うまく断るための「とっさの一言」』という章を真剣に読み込んでしまった。
その中でも、
①立ち入ったことを質問してくる相手に対して・・・
②つきあいたくない飲み会に誘われたとき・・・
③お酒に弱いので、相手からのお酌を断りたいとき・・・
といった項目は、リアルにその場面が想像できてしまった。
私はお酒が飲めないので、友人と食事などに行っても、普通にコーラを注文する。
相手が友人なら、別に飲み物などに気を遣う必要もないし、そんなことを気にして付き合わなければならない相手なら、そもそも最初から友人になんてなっていない。
問題は目上の人間に対してだ。
会社などの組織にいると、否が応でも勤務時間外の付き合いがある。
上司が「今日飲みに行くぞ」と言ったら、
内心では「あっそう、どうぞご勝手に」と、冷やかに呟いていても、最終的には上司に付き合うことになる。
そんなとき、いくらか役に立たないだろうか思って、それらの項目を参照してみたのだ。
ちなみに、私は各シチュエーションに対して、心の中でいつもこう思っていた。
① うるせえな。おめえに関係ねえだろ。
② なんで終業後にまであんたと顔突き合わせなきゃいけねえんだよ。
③ 飲めないもんは飲めないんだから、仕方ねえじゃねえか。
典型的なゆとり世代の考え方だ、などと言われてしまいそうだが、事実そう思っていた。もちろん実際に口に出すことはないし、相手によっては、誘われても悪い気にはならないのだが・・・。
そしてこちらが、本に書かれていた模範解答的なフレーズだ。
①立ち入ったことを質問してくる相手に対して・・・
ご質問はお手柔らかにお願いします。
②つきあいたくない飲み会に誘われたとき・・・
今回は失礼しますが、次回はご一緒させてください。
③お酒に弱いので、相手からのお酌を断りたいとき・・・
医者に、とめられているんです。
なるほど。
私はそう思った。
確かに、どのフレーズも、自分の意向を失礼なく伝えられている。
しかしどうだろう。本当にそんなに簡単に事はうまく運ぶものだろうか。
私の上司の中には、「飲みにケーション」などという、時代錯誤な言葉を恥ずかしげもなく平気で口にして、居酒屋に引っ張り込もうとする上司もいたし、「酒が飲めない奴がいるなんて、信じられない」などと豪語する者もいた。
そんな人間に対しては、きっと何を言っても無駄なのだろうとすら思う。
よくよく考えてみれば、
そんなフレーズをわざわざ用意しておかなくてはならないこと自体、私はどうかと思っている。
相手に対する好き嫌いの感情を率直に表現してしまうのはよくないが、仕事とは関係のない個人の趣味趣向まで、誰かに気を遣って選ばなくてはならないのだろうか。
実際にはなかなかできないのは承知しているが、
私は私、あなたはあなた。
それではいけないのだろうか。
しかし、それを言ってまとめてしまえば、この本を買った意味がない。
誰かに何かを伝えるときは、やはり相手の気分を害さないほうがいいに決まっている。
本の中には、すぐにでも使えそうなフレーズもたくさんあった。
例えば、反対意見を述べたいときなどに、「違う角度からお話させてください」と言ったり、相手の思い違いと指摘するときなどに、「こういう考え方もありますね」とさりげなく訂正してあげる言葉には本当に納得した。
私も間違えることはよくあるので、そう言ってもらえたらいやな気持にはならないと思う。
頭の中で飛び交う罵詈雑言を抑えて、さらりとスマートに、こんなフレーズが出せたらちょっと気持ちいいだろうな。
そんなことも思った。
そして文頭に書いたシチュエーションである。
知人の浮気現場に出くわしてしまったとき・・・
しかもバッタリ真正面から目が合ってしまった。
こんなときは、さらりとこう言えばいいらしい。
「人違いでした」
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言えるかあ!
映画鑑賞 幸せの意味を考える
人はどこまで社会から隔絶された環境で、己の力だけで生きてゆけるのだろうか。
私は人付き合いが得意な方ではないし、できることならなるべく一人で時間を過ごすのが好きなタイプの人間だが、とはいえ、この社会で生きていくには、少なからず他人と関わっていかなくてはならないし、相手が多少いけ好かない奴でも意識して口角を引っ張り上げなくてはならない。
それが嫌なら、アマゾンの灼熱のジャングルやシベリアの凍える大地でサバイバルをするより他はない。
そのことを考えると、やはり本当にたった一人で生きていくというのは私にはできそうもない芸当だと思う。
一人で旅行に出かけるくらいは平気でやってきたし、むしろそういうのは好きなのだが、それは旅先にちゃんと人がいて、もし困ったことがあれば、近くの交番にでも駆け込んで助けてもらえるという安心感があるからできることである。
全く文明化されていない、人一人周囲にいない世界に行けと言われたら、たとえそれが一日や二日のことであっても私はためらうかもしれない。
なんだかんだで、私は人が恋しいのだ。
大自然の中で生きていく知恵が私には備わっていないというのはもちろんあるが、それ以前に、信念の問題として私は一人では生きていけないだろう。
横井庄一さんや小野田寛郎さんは、東南アジアの森の中で戦後二十年以上に渡って、たった一人で生き抜いてきたわけだが、それをさせたのは、彼らの中にあった、日本が戦争に負けるはずがない、または上官の命令を貫徹しなければならないという、揺るぎない信念だったと思う。
私のように、ただなんとなく人付き合いが苦手だからといった理由でジャングルの中に一人分け入っても、おそらく一週間と持たないであろうし、無理をすれば、数か月後に白骨死体となって発見される可能性もある。
しかしながら、社会のしがらみを全て投げ捨てて、一人大自然の中に身を置くというのが私にとって一種の憧れであることは確かだ。
『Into the Wild』という映画をDVDで観た。
1992年にアラスカで腐乱死体となって発見された青年クリストファー・マッキャンドレスを題材にしたノンフィクション『荒野へ』の映画版なのだが、この映画を観て私が感じたのは、人生の幸福や不幸は、物の豊かさや効率の良さでは決して決まらないのだということだ。
主人公のクリストファーは、大学を優秀な成績で卒業し、ハーバードのロースクールに進学できるほどだったそうだ。しかし彼はそうはしなかった。
全財産を慈善団体に寄付し、カードや身分証も捨てて、その身ひとつで旅に出た。道中、様々な人と出会いながら、二年の旅の末にアラスカに辿り着き、そこで自給自足のサバイバル生活を始めるが、最終的には餓死してしまう。
彼が最後に何を思ったのか、それは誰にもわからないが、彼がこの旅を後悔していないことだけは確かだろう。
彼は幸せの答えをお金や物に求めなかった。
私にこういう生き方ができるだろうか。おそらく難しいだろう。
それでも、クリストファーの生き様は、幸せの価値観について私に問いかけているように感じた。
私たちが生きている文明社会では、右も左も物質で溢れているが、その中で生きている私たちは、アラスカの大地で死んだクリストファーよりも幸せだと言えるだろうか。
前川清の歌で、『東京砂漠』というのがあったらしいが(私の母親が昔よく聴いていたので覚えている)、私たちが生きているこの文明社会もある意味では殺伐として、アラスカの大地と変わらない、孤独な環境なのかもしれない。
そしてそんな環境の中では、誰もが安心して息をつけるオアシスを必要としている。
もしかしたらクリストファーは、そのオアシスを見つけたのかもしれないなと、そんなことを私は思った。
蛇足だが、この映画で主演を務めたエミール・ハーシュは、その後2015年に、映画会社副社長の首を絞めて、暴行罪で逮捕されている。
ある意味でInto the Wild(蛮人に)を地で実践した形になったが、クリストファーのストーリーから得られる教訓は、そんなものではないはずだ。
新たなる挑戦
ふと、プログラム言語を勉強してみたいと思った。
現代はネットの時代だし、生活のあらゆる場面でコンピュータの世話になっている。
仕事にしろ、日常生活にしろ、私にもある程度の知識があれば今後何かの役に立つかもしれないと、誰もが考えそうな安易な気持ちから、そんなことを考えた。
・・・わけではない。
上記の動機は確かにあるし、実際に覚えていればかなり役には立つのだろう。
だが正直に言うと、プログラムができる人ってなんとなくかっこいい感じがする。そう思ったのだ。
数年前にやっていたテレビドラマで、IT会社の社長を演じる小栗旬を見てかっこいいと思った記憶も残っていたし、共演していた石原さとみもとても可愛かった。
なんとなくオシャレでインテリな感じがしたし、プログラムなんかができれば、あんなドラマみたいな洗練された知的な出会いもどこかにあるのかしら。
そんな単純で不純な動機が、私の脳内で与党の座を占めていたことは否めない。
無論、私は小栗旬ではない。私の身長も顔も小栗旬には程遠い。まさに月とすっぽん。
それに、実際にプログラムを生業としている人にとって、それは目を酷使する過酷な作業なのだろう。
だが私の場合、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのように、あっと驚くような発明をして世界を変えてやるなどと、鼻息荒く励むつもりもない。
いや、鼻息は多少荒いかもしれないが、そもそも目的の次元が自分でもびっくりするほどくだらない。
とはいえ、プログラム言語ができる人はかっこいいという、一種の命題じみた観念が私に行動を促したことは事実なのだ。
しかし残念なことに、私は全くのコンピュータ音痴である。
一応、学生時代にレポートや発表に追われていたおかげで、ブラインドタッチはできるようになったし、パワーポイントの使い方も心得てはいる。
だが、HTMLもわからないし、プログラムなんて夢のまた夢。
そちらの方面に詳しい方からすれば、素人がそんな不純な動機で簡単に手を出す分野ではないのかもしれない。
だがまあ、何事にも最初の一歩はあるものだし、私がそれを勉強して誰かが困るわけでもない。
そんなわけで、まずはネットでプログラム言語について調べてみた。一言でプログラム言語といっても、実に様々な種類があるのだ。
Java、C言語、PHP、…etc.
私にはどれがどれに適していて、どれがどれに適していないのかもよくわからなかったが、一応調べてみた結果、C言語を学んでみることにした。
決して低いハードルではないらしいが、知っておいて損はないらしい。
もしやってみてダメだったら、そのときはそのときでまた考えればいい。
私は早速、書店に出かけた。テクノロジー関連の本を集めたコーナーに恐る恐る足を運ぶ。
しかしパソコン書籍が並ぶ棚の前に行くと、そこには先客がいた。
メガネをかけた、見たところ中学生くらいの少年が、辞書ほどの厚さのある本を立ったまま広げて読んでいたのだ。
片手を顎のところに当てて、なにやらふむふむと頷いていたが、その姿はどう見てもコナンには見えなかった。
四角いメガネをかけたのび太くんといった感じだった。身体だけではなく、頭脳もやはり子供なのだ。
十中八九、少年はその本の内容などわかってはいないだろう。ただ周囲の大人たちに、頭をよく見せようとして見栄をはっているだけなのだ。
しかし、そんな大人げないことを考えてしまう私も、やはり少年時代に、同じようなことをやっていたことをここで告白しておく。
メガネこそかけてはいなかったが、経済書が並ぶ棚の前で、仰々しくマックス・ウェーバーなんか広げてみたりしていた。そして、近くを通り過ぎる大人たちを横目に、空虚な妄想で優越感に浸っていたものだ。もちろん、何が書かれているかなんてこれっぽっちもわかってはいなかったのだが。
だから私がのび太くんのことをどうこう言える立場ではない。きっとそういうお年頃なのだ。
私は数ある本の中から、一冊の本を抜き取った。
一番値段が安かったからというのもあるが、分厚い本なんか買っても、いきなり最後まで読み切る自信が私にはあまりなかったからだ。
本を持ってレジに向かおうとしたとき、のび太くんがちらりとこちらを見た。やはりコナンよりものび太に似ている。改めて私はそう思った。
家に帰って、さっそく袋から本を取り出した。
まあ、やるだけやってみよう。
そう心の中で呟いて、最初のページを開いた。
さて、私はこれからちゃんと勉強して、プログラム言語を身に着けることができるのだろうか。
それは誰にもわからない。
又吉大先生
又吉直樹さんの『火花』を読んだ。
芥川賞受賞作という、世間の流行にあっさりと私も乗っかったわけだが、
よっ、大先生!
そんな言葉も冷やかしに思えなくなるくらい素晴らしい作品だったと思う。
素晴らしいなんて陳腐な表現で申し訳ないけれど、実際そう思った。
審査員が何をどう判断したのかは知らないけれど、
芸人さんの世界って、ほんと厳しいんだな。
受賞が決まって、最初の日曜日に放送された情熱大陸は、さっそく又吉さんだった。受賞の瞬間をカメラが捉えていたが、携帯電話から受賞の連絡を受けた又吉さんは、淡々として「本当ですか。ありがとうございます」とそれだけ言った。
そして、その場にいた出版社の関係者の人達にも「受賞しました」の一言。
本人は口では「めちゃくちゃうれしい」と言いながら、大げさに喜んだ表情やしぐさを見せるでもなく、淡々と受賞という事実を受け止めているようだった。
番組の中で又吉さんは、今までゴミみたいな扱いを受けてきたから、いきなりこんなに注目されても自分の中で何かが変わることはない、みたいなことを言っていた。
芸人さんの世界がどのようなものなのか、実際に覗いたことはないが、『火花』に書かれている様子からすると、かなりシビアな世界なのだと認識させられる。
そんな環境もまた、又吉さんの人生観に大きな影響を与えたのかもしれない。
小説の中で、こんな文章がある。
「僕は徹底的な異端にはなりきれない。その反対に器用にも立ち回れない。その不器用さを誇ることもできない。」
笑いにすべてを捧げるハチャメチャな先輩に憧れ、そんな風になりきれない主人公の心境を描写したものだが、又吉さんも、自身の芸に対して同じことを考えているのかもしれないと思う。
さんまさんのように、馬鹿騒ぎをして笑いをとるタイプではないし、江頭2:50みたいに、体を張って怖いもの知らずといった感じでもない。
でも私は勝手に思う。
それでも又吉さんは、芸人ピースとして独自の漫才を展開して笑いをとっているし、一流の芸人さんだ。
上記した小説の文章も、ある意味ではそれも天性の才能なのではないだろうか。
やりたいスタイルで勝負できないことはたくさんあるけれど、自分の特質を見極めて、それを活かして勝負できれば万歳な気もする。
こんなことを言ったら又吉さんに、お前はなんにもわかっちゃいねえ、と怒られるだろうか。
とにもかくにも、いつか私もこんな小説を書いて、先生などと呼ばれてみたいものだな。
不安の中の若者たち
しばらく前のことだが、NHKのEテレで、「白熱教室」という番組を見ていた。
私がそのとき見たのは、全4回のうちの2回目で、「人生で一番楽しいことは?」というタイトルがついていた。
聴講していたのは20代から30代がほとんどで、未来に希望が持てずに不安の中でもがいている若者たちだった。
私がこの番組にチャンネルを合わせたのはたまたまだったが、気が付けば食い入るようにテレビ画面を見ていた。
なぜなら、私もまた、未来に対して強烈な不安を抱いている若者の一人だからだ。
就職、出世、夢・・・
現実と不安に押しつぶされそうになる自分と向き合いながら日々を生きている若者にとって、キム教授の話は心に強く訴えかけるものがある。
韓国は日本以上の超競争社会だ。若者たちが抱く不安も日本以上かもしれない。
国は違えど、隣国の若者たちも自分たち日本の若者と同じ悩みを抱えていることを知り、私はキム教授の話に聞き入った。
数日後、私は書店にいた。キム教授の書いた本が、日本語版として発売されているのを知ったからだ。
私は彼の著書であるエッセイ「つらいから青春だ」を買って読んでみた。
ずいぶんと励まされた。
今を生きる若者たちに向けたメッセージに強く心打たれたのだ。
本の中に、「きみという花が咲く季節」という項目があった。
簡単に言うと、梅や桜、ヒマワリ、菊といった花は、季節ごとにそれぞれ美しく咲き誇るのに、人はみな、どうして早春に咲く梅にばかりなろうとするのか、というものだ。
確かにそう思う。友人や同僚が自分よりも早く成果を上げているのを見ると、ついつい焦ってしまうのが人情というものだ。もちろん私も例外ではない。
私という花はいつになったら咲くのだろうか。そもそもちゃんと咲くのだろうか。
そんなことを考える。
30代、40代、50代になった自分を想像してみる。しかしそれは、なかなか難しい行為であって、うまくいかなかった。
私にもささやかな夢はあるし、そうであればいいなと思う未来もある。だがそれがいつの出来事になるのか、まったくもって想像がつかないのだ。
そのとき、まだ私の頭には髪の毛がちゃんとあるのだろうか。
そんなことのほうがリアルに想像できてしまう。まだまだ私には未来を強く夢見るという力が足りないのかもしれないと、妙に残念な気持ちにもなる。
ただ、もし私という花があるのなら、花の大きさに関わらず、いつか目一杯咲かせてみたいとは思う。
それがいつなのかはわからないが、その季節を待ちながら、毎日を大切に生きようと、そんなことを思った。