がんちむの備考帳

身近なことを一生懸命考えると、どうでもいいことがどうでもよくなくなったり、どうでもよくないことがどうでもよくなったりします。

不思議の国のチョルス 中編

韓国からやってくる友人、チョルスを迎えるにあたって心得ておかなければならないこと。

 

第一に、彼はとにかく人を集めたがる

第二に、彼は遠慮をしない

第三に、彼はドがつくスケベである

 

今日は二番目について。

 

②彼は遠慮しない。

 

大学生の懐事情には厳しいものがある。いくらバイトをしているとはいえ、頻繁に人に何かをおごってやることなんてできない。

 

しかし、日本に来たチョルスは、そんなことはおかまいなしに食事をおごらせようとする。

 

もちろん私は、自分で払えよ、と言う。

 

だが彼の言い分はこうだ。

 

「久しぶりに日本に来テ、こして会ったんダカラ、まあ少しくらい、おごってくれてもいいジャン」そして苦笑しながらこう付け加えるのだ。「オマエ、ケチダネ~」

 

 

別に久しぶりでも何でもないのだが、まあ日本人である私がホストの立場になるのは事実である。

 

それに、チョルスが私のところに滞在するのはせいぜい二、三日だ。異国の友人に一回や二回食事をごちそうしてあげるくらいでガタガタ言うのも情けない話なので、私はため息をつきながら財布を取り出すのだ。

 

ある夏の日、私が住む町にやってきたチョルスは、ほっともっとの弁当が食べてみたいと言い出した。ほっともっとをどこで知ったのかは不明だが、時刻は夕方の六時を回ろうとしていたので、私は彼と二人で近くのほっともっとのお店に行くことにした。もちろん、私のおごりである。

 

お店に着くと、ガラス張りのドアが開いて私たちは中に入った。カウンターには、女子大学生のアルバイトが立っていた。

 

「ご注文を承ります」

 

彼女がしおらしく言うと、我らがチョルス氏はメニューを見ることもせずに、

 

「ビーフステーキ弁当をお願いシマス」

 

高らかにそう宣言した。

 

ちょっとチョルスさん?今なんとおっしゃいました?

 

私は一瞬だけ耳を疑ったが、確かに彼はそう言った。

 

もうちょっと、なんつーかな。苦学生の懐事情を考慮していただけると…

 

そんなことを考えたが、今更詮無いことである。

 

正面に視線を移すと、店員が、あなたは何になさいますか?的な目で私を見ていた。

 

私は平静さを装いつつも、いつもの唐揚げ弁当を注文した。

 

家に帰って食事を済ませた後、彼は満足そうにごろりと横になった。彼が動いた風圧で、ひらりと一枚のチラシが舞う。郵便受けに入っていたのを、適当に床に重ねて置いていたものである。

 

私はそれを拾って視線を落とす。

 

白いご飯の上に乗り、肉汁をたらすビーフステーキの写真がでかでかと載っていた。ほっともっとのチラシだった。

 

…なるほどね。私はそう思った。

 

そして一年後の夏、チョルスはまたやってきた。そのときの彼は別の知人の家に泊まっていたのだが、私とも会うことになった。

 

その日は日本に台風が近づいていたので、あまり家から出たくなかったのだけれど、渋々、駅で待ち合わせをする。彼は当然のごとく、約束の時間に三十分ほど遅れてやってきた。

 

ちょうどお昼時だったので、食事にしようということになった。

 

彼は焼肉が食べたいと言い出した。しかも食べ放題をご所望の様子。

 

とはいえ、私としてはそもそもお昼からそんな重たいものは食べたくなかったので反対した。焼肉なら、韓国に帰ってたらふく食べればいいではないか。

 

しかしチョルスは、それでも焼肉が食べたいと言う。

 

どうしたものかと思い、辺りを見回してみたが、焼肉屋なんて見当たらなかった。

 

私たちはしばらく焼肉屋を探して歩きまわった。雨はまったく降っていなかったが、風が強くて、外を歩いている人も少なかった。

 

こんな日に自分は何をやっているのだろうと、少しだけ気持ちが萎えたが、努力の甲斐あって、ようやく一軒だけ見つけることができた。

 

だが近づいてみると、その店は夜しか営業していないらしく、その時間には開いていなかった。

 

がっかりするチョルス。しかし、その焼肉屋は商業施設の一角にあったので、隣には回転寿司のお店が並んでいた。

 

私たちは仕方なくそのお店に入ることにした。平日で、しかも台風の影響もあってか、店内には私たち以外の客はいなかった。

 

向かい合って席に座り、おしぼりで手を拭く。すぐ脇では、色とりどりのお皿が流れていた。

 

…色とりどり?

 

いやな予感がしたよね。

 

正面のチョルスに視線を移すと、彼はしげしげと、流れ来ては去ってゆく寿司ネタたちを見つめている。

 

私はここで、初めて自分の愚かさを悟った。

 

今までのチョルスの言動を鑑みれば、回転寿司は一番入ってはいけない場所だったのだ。とはいえ、時すでに遅し。

 

私は先陣を切り、さりげなく光ものの皿を取って、無言のプレッシャーを与えようと試みたが、チョルスは私が取った皿になどには一瞥もくれずに、二十年以上日本で生きてきて、私が一度も取ったことがない皿に、迷いもなく手を伸ばした。

 

私は思わず目を見開いて、彼が大トロを口に運ぶ様を凝視していた。ちょっとしたホラー映画を観ているような気分だった。

 

結局そのお店で、私は五千円以上の出費をすることになったのだが、言わずもがな、その八割はチョルスの腹の中に納まっていた。

 

ここまで書くと、チョルスはすごくお金にがめつい人間と思うかもしれないが、実際はそんなことはない。

 

一応誤解は解いておく。

 

前回登場した広島の友人が、韓国にチョルスを訪ねて遊びに行った際、チョルスは

食事代や交通費も含めて、一切のお金を出させなかったらしい。

 

「わざわざ日本から来てくれた友人をもてなすのは当然のことじゃないカ」と彼は言う。

 

こういった部分では義理堅くて律儀なヒョン(お兄さん)なのである。

 

私が韓国に言った際にも、「全力でもてなす」と公言しているチョルス。

 

そのときが楽しみである。

 

後編へ続く。