がんちむの備考帳

身近なことを一生懸命考えると、どうでもいいことがどうでもよくなくなったり、どうでもよくないことがどうでもよくなったりします。

又吉大先生


又吉直樹さんの『火花』を読んだ。


芥川賞受賞作という、世間の流行にあっさりと私も乗っかったわけだが、


よっ、大先生!


そんな言葉も冷やかしに思えなくなるくらい素晴らしい作品だったと思う。


素晴らしいなんて陳腐な表現で申し訳ないけれど、実際そう思った。


審査員が何をどう判断したのかは知らないけれど、


芸人さんの世界って、ほんと厳しいんだな。


受賞が決まって、最初の日曜日に放送された情熱大陸は、さっそく又吉さんだった。受賞の瞬間をカメラが捉えていたが、携帯電話から受賞の連絡を受けた又吉さんは、淡々として「本当ですか。ありがとうございます」とそれだけ言った。


そして、その場にいた出版社の関係者の人達にも「受賞しました」の一言。


本人は口では「めちゃくちゃうれしい」と言いながら、大げさに喜んだ表情やしぐさを見せるでもなく、淡々と受賞という事実を受け止めているようだった。


番組の中で又吉さんは、今までゴミみたいな扱いを受けてきたから、いきなりこんなに注目されても自分の中で何かが変わることはない、みたいなことを言っていた。


芸人さんの世界がどのようなものなのか、実際に覗いたことはないが、『火花』に書かれている様子からすると、かなりシビアな世界なのだと認識させられる。


そんな環境もまた、又吉さんの人生観に大きな影響を与えたのかもしれない。


小説の中で、こんな文章がある。


「僕は徹底的な異端にはなりきれない。その反対に器用にも立ち回れない。その不器用さを誇ることもできない。」


笑いにすべてを捧げるハチャメチャな先輩に憧れ、そんな風になりきれない主人公の心境を描写したものだが、又吉さんも、自身の芸に対して同じことを考えているのかもしれないと思う。


さんまさんのように、馬鹿騒ぎをして笑いをとるタイプではないし、江頭2:50みたいに、体を張って怖いもの知らずといった感じでもない。


でも私は勝手に思う。


それでも又吉さんは、芸人ピースとして独自の漫才を展開して笑いをとっているし、一流の芸人さんだ。


上記した小説の文章も、ある意味ではそれも天性の才能なのではないだろうか。


やりたいスタイルで勝負できないことはたくさんあるけれど、自分の特質を見極めて、それを活かして勝負できれば万歳な気もする。


こんなことを言ったら又吉さんに、お前はなんにもわかっちゃいねえ、と怒られるだろうか。


とにもかくにも、いつか私もこんな小説を書いて、先生などと呼ばれてみたいものだな。