がんちむの備考帳

身近なことを一生懸命考えると、どうでもいいことがどうでもよくなくなったり、どうでもよくないことがどうでもよくなったりします。

ジェネレーションギャップ

テレビで昭和の歌を集めた番組をやっていた。


昭和40年代~50年代の歌謡曲の売り上げをランキング形式で発表したものだった。


昭和40年代~50年代といえば、1960年代~1970年代というところなので、平成生まれの私にとっては、社会科の授業で高度経済成長期として、答案用紙に記入するくらいしか縁のない時代である。


当然だ。私の親ですら、まだ子供だった時代なのだから。


とはいえ、番組中で出てきた曲の中には、現在でも広く親しまれているものも多くあり、私もよく耳にするような曲が、何十年も昔の曲だったと知っても特に違和感はなかった。


いい曲は時代が変わっても色あせないのだな、などと偉そうなことを考えたりもした。


しかしながら、やはり時代の流れというのはあるもので、聴いていると現在の価値観とはずいぶんかけ離れていると思うような歌詞もちらほら。


中でも、殿さまキングスなるグループの「なみだの操」という曲には少なからぬ衝撃を受けた。



なみだの操

                                    作詞 千家和也
                                    作曲 彩木雅夫
                                      唄 殿さまキングス


あなたのために 守り通した女の操
今さら他人に ささげられないわ
あなたの決してお邪魔はしないから
おそばに置いてほしいのよ
お別れするより死にたいわ 女だから

あなたの匂い 肌に沁みつく女の操
すてられたあと 暮らして行けない
私に悪いところがあるのなら
教えてきっと直すから
恨みはしませんこの恋を 女だから

あなたにだけは 分かるはずなの女の操
汚れを知らぬ 乙女になれたら
誰にも心変りはあるけれど
あなたを疑いたくない
泣かずに待ちますいつまでも 女だから






私にはこの歌を貶める意図は一切ないことをあらかじめ断っておく。
その上で誤解を恐れずに率直に言おう。









・・・重っ!






私はそう思った。
現代の若い女性たちが聴いたら、ミジンコほどの共感も得られそうにない。


私の姉が聴いたら、ジェネレーションギャップをくすりと笑うだけで済むかもしれないが、従姉のMちゃんだったら、「ばっかじゃねえの」などと言ってばっさりと袈裟に斬って捨てるだろう。


女性の生き方に関する価値観はかなり変わったと言っていい。


そうは言うものの、私は歌に出てくるこの女がその後どういう末路を辿ったのか、そっちの方もまた気になってしまっていた。


というのも、なぜか捨てられることが前提のような歌詞が想像力をかきたててしまうからだ。
そういった意味では、この歌はやはり名曲なのだろう。情景が浮かばない曲なんて、聴く価値すらない。


だが、私の頭の中に浮かんだ情景と、当時この曲を聴いた人たちが思い浮かべた情景が同じだという保証はもちろんない。


私が勝手に描いたその後では、この女は十中八九、ヤマンバ化する。
ガングロギャルなんてものではない。
正真正銘の山姥になる。
断じてティンカーベルにはならない。


こういう一途な恋心を全うして、結果的に報われたなら、それは美談として語るに足るだろう。だがそうはならなかった場合(おそらくはならない)、この女は怨念の坩堝にはまる。



一番で「お別れするより死にたいわ」と言っているが、三番では「泣かずに待ちますいつまでも」となる。


どっちやねん。


と軽くツッコミを入れておくが、それと同時に、歌が三番まででよかったなと思った。
まさに歌の中で、女は山姥への進化過程なのである。


潔さなどかなぐり捨てて、どこまでも愛憎の炎を燃えたぎらせる最終形態の片鱗を見せたところで歌は終わっているのだ。


もし四番があったなら、「おそばにいなけりゃ 呪います」となり、最後は、「愛してくれなきゃ 殺します」くらいになっていくのだろう。


深い森の奥にある一軒の山小屋。
大きなかまどで揺らめく紫色の炎の上で、大鍋をかき混ぜながら黒魔術でも唱えている老婆の姿が脳裏に浮かんでいる。


これが私の想像した「なみだの操」もとい昭和版こじらせ女子の末路である。


そもそも問題の男はどこに行ったのだ?
このような女性の心を汲むのが殿方の作法というものだったのだろうか。
私にはよくわからない。


歌詞の最後に、すべて「女だから」の一言で片づけてしまうという暴挙もさることながら、よくよく考えれば、作詞も作曲も、歌っているもの全員男ではないか。


歌っている殿様キングスの、他の曲も少しだけ調べてみたが、「おんなの運命」や「女の純情」なんて曲名が目についてしまう。


一応それらの歌詞も読んでみたが、一行一行読むたびに、歌詞から女の怨念が滲み出てくるような感覚に陥った。


もうそんな男は諦めて、さっさと他の男を探しなさいよ。
歌に出てくる女にそう言ってあげたくなる。


しかし、当時「なみだの操」がヒットしたというのは紛れもない事実であるし、作詞をした千家先生も数多くの曲を世に送り出した偉大な作詞家だ。


これが時代というものなのか?


あと何十年かしたら、私たちが今聴いているようなJポップやロックが、ダサいと思われるような時代になるのだろうか。


そして子供や孫たちにからかわれることになるのだろうか(おそらくなるのだろう)。


You Tube西野カナの『会いたくて 会いたくて』を聴きながら私はそう思った。


未来の若者たちの声が脳裏に響く。


「震えるってなにそれ~!禁断症状かなんか~?マジうけるんだけど~(爆)」