がんちむの備考帳

身近なことを一生懸命考えると、どうでもいいことがどうでもよくなくなったり、どうでもよくないことがどうでもよくなったりします。

お金お金お金~♫

叔母が本を貸してくれた。

タイトルは「億男」。

なんとも景気のいいタイトルで、最初は金儲けか何かの本かと思ったのだが、小説だった。作者は川村元気さんという方で、映画のプロデュースなどをされている方だ。

宝くじで3億円を当ててしまった男が、『お金と幸せの答え』を探すというストーリーだったのだが、読みながら、もし自分が3億円の宝くじを当てたら、私はどうなってしまうのだろうと真剣に考えることになった。

私の手元に3億円・・・

金額が大きすぎてうまく想像力が働かない。

家を買う。車を買う。旅行に行く。豪華なディナーを食べにいく。

ベタな発想だけは頭に浮かぶが、その先がなかなか出てこない。

だがよくよく考えてみると、本気で家が買いたいわけでもないし、食事なんてコンビニ弁当でも満足できる。車を買わなくても、バスや電車を利用すればいいし、必要とあらばレンタカーという手がある。服もユニクロで事足りる。旅行は割と本気で行きたいと思っているが、それ以外に本気で欲しいものなんて、あまり思い浮かばない。

3億円が手に入っても、おそらくは預金に回すことになるのだろうな。

私はそう思った。

しかしそんなことを思うのはやっぱり虫のいい話だろうか。

実際にそんな大金が手元にあったら、人格も変わってしまうのではないだろうか。

そんな不安要素もちらほらと耳にする。

お金を手にした途端に、今までの倹約が嘘のように散財してしまったり、自分に寄って来る人はみんなお金目当てに見えて、人が信用できなくなったり、お金がなかった時よりも逆に疲れ切ってしまう事例というのもたぶんあるのだろう。

お金に使われていると言われればそれまでだが、お金の魔力に対抗できる人なんて、一体どれくらいいるのだろう。<

金持ちの悩みなんて知ったこっちゃねえぜ。

そういう気持ちも私の中には確かにある。

確かにあるのだが、私には「いくらお金があっても自分は変わらないぜ」と言える自信はあまりない。

なぜなら、お金が無いよりもあった方がいいのは事実だし、私自身の今の人格だって、良くも悪くもお金によって形成されたといっても過言ではない気がするからだ。

家族構成、住環境、習い事、進学・・・

これら全てにおいてお金が関わっている。

資本主義の社会で生きている以上、これは紛れもない事実だろう。

だがまあ、そんなことを言ってみたところで、貧乏人の私が3億円の心配するのは一種の杞憂なのかもしれない。

財布の中の数千円をどう使うかで毎日頭の中はいっぱいである。

果たして私の幸せに、何億ものお金が必要だろうか。

その答えはおそらくNOだ。

本を読み終えたとき、私はそう思った。

だが、必要ではないかもしれないと思いつつ、欲しいという気持ちがあるのもまた事実だった。

人の欲望って際限がないですね。

軽い気持ちで読んだ本だったが、まだ人生経験が浅い小僧には、いささか難しい問題を突きつけられた気がする。

翌日、私は宝くじ売り場の前に立っていた。