恐竜
もし恐竜が現代に蘇ったら…。
こんな問いをされて真っ先に思い浮かべるのはあの映画だろう。そう、「ジュラシック・パーク」。
1993年に公開されてから、今年で22年なるが、未だに子供の頃に観た衝撃は忘れられない。
あんなテーマパークが本当にあったらと考えただけで、当時小学生にもなっていなかった私は興奮で胸が踊った。
今こうしてこの文章を書いている間も、頭の内側では、ジョン・ウィリアムズが作曲したあの有名なテーマソングがオーケストラの演奏によって雄大に響き渡っている。
さて、八月に公開される映画「ジュラシック・ワールド」。
ご存じ、「ジュラシック・パーク」、「ロストワールド:ジュラシック・パーク」、「ジュラシック・パークⅢ」と続いた、恐竜エンタメ作品の第4弾である。
今回のは、今までのシリーズで一度もオープンすることがなかったあのテーマパークがついに開業するという設定らしく、是非とも劇場に足を運ばなければと思っている次第なのだが、子どもの頃に私が受けた衝撃は何も、CGを駆使したリアルな恐竜や、島の雄大な大自然に対してだけのものではない。
人間が恐竜の餌食になるシーンもまた、私がこの映画を忘れなれない理由の一つだ。
いつ恐竜が襲ってくるのか、誰が生き残るのかがわからない展開にハラハラドキドキさせられた(個人的にお気に入りの俳優サミュエル・L・ジャクソンが演じたアーノルドさんだって、食い殺されて腕だけになって発見された)。
しかも、食べられる描写がまた生々しいことこの上ない。Tレックスに上半身からパクリといかれて、ぶんぶんと振り回された挙句、まるで人形のように引きちぎられる場面では、思わず顔をしかめた。
「恐竜に食べられて死ぬのと、サメ(ジョーズのこと)に食べられて死ぬのだけは絶対にいやだわ」
私の母はよくそう言っていた(奇しくも、どちらもスピルバーグ作品)。
同感だ。私も五体満足のままで死にたい。
だが、文頭の問いに戻ることになるが、もし恐竜が現代に蘇ったら、そしてもし映画のように、人間を襲うようなことになれば、私たちの社会は一体どうなってしまうのだろうか。
どうやらそんな問いを科学的に考えた人がアメリカにいるようなので、その方の記事を紹介する。
その記事はScienceNewsに掲載された。筆者のサラ・ジエリンスキーはこう語る。
「一頭のモササウルスやプテロサウルス、Tレックスなどが逃げ出しても、21世紀のアメリカ本土では、限られた損害しか生じえない。もしそれらが厄介なことになれば、最終的に人々は対処するだろう。結局、私たちは動物園から逃げ出したライオンや虎を闊歩させたままにはしない」
そいつぁ、ごもっとも。
確かに、いくらTレックスでも、戦車から砲撃を一発食らえばそれでお終いである。
至極当たり前の言葉に、私は少々拍子抜けした。望んでいるわけではないが、もっと危機的な状況が語られることを、心のどこかでは期待していたのだ。
だが、この記事には続きがある。
「本当の問題は、もしこれらの種の一つが、侵略的になった場合に限り起こり得る。新しい環境に定着するよう管理された複数種が、ある種の損害をもたらすということだ」
つまりはウイルスのように、環境に適応してしまったら恐ろしいことになるということらしい。
彼女はそれらの種が新しい環境に定着するための条件として、以下の4つを挙げている。
①新しい環境で天敵が少ないこと
②多くが異なるタイプの生息地での耐性
③食物を得るための原種生物との競争能力
④すばやい成長と繁殖
どれをとっても私にはないものだが、恐竜たちにとってはどうだろう。
記事曰く、
一つ目の条件は、人間という最大の天敵がいるために当てはまらない。二つ目と三つ目に関してはわからない。
しかし、四つ目の条件が油断ならないらしい。
「原作のジュラシック・パークでは、すべての恐竜たちは雌になるように育てられていたために、自身では繁殖できなかった。しかし、いくつかの恐竜は明らかにそれをやってのけた(雄への変異なのか、単為生殖なのかは限定されていない)。だからこそ、生殖は可能だった」
次に、その成長速度についても言及している。
「ジュラシック・パークやジュラシック・ワールドの爬虫類たちはすべて中型から大型で、一度にかえる卵の数は少なく、成長にも時間がかかる。これらの動物の集団は増殖も遅く、定着するのは困難だろう」
ということは、結局現代の私たちにとって、恐竜は脅威になりえないということか。私はそう思った。
しかし、やはりというべきか、話はそう簡単には終わらなかった。
「恐竜よりも心配なことがある」そう書かれていた。「植物だ」
植物?
私は首をかしげた。
なんとも、ジュラシック・パークに出てくる植物のうち、少なくとも一種類は、過去から復活させられたもので、その背後にあった科学については説明されていないが、他の植物も同様にして復活させられていたと、記事では断言しているのだ。
さらには、島への頻繁な人の往来によって、種や植物物質が意図せずに本土まで旅をしてしまうことができる。それに、もし一部の人が、ビジネス目的でこれら太古の植物に目をつけたら、その植物はいたるところに拡散しうる、とも。
爬虫類とは違い、植物の上陸は認識されづらいし、一度上陸してしまった侵襲的な植物の根絶は、不可能でないにしても、とても難しいのだそうだ。
記事の最後はこう締めくくられていた。
「ありがたいことに、これらのシナリオは私の頭の中だけで働いている。我々はすでに、十分すぎるほどの侵略性の種の問題を抱えているのだ」
この記事を書いたサラ・ジリエンスキーが一体どんな姿の植物を想像していたのかは不明だが、少なくとも生態系への影響を懸念していることはよくわかった。
私はというと、久しぶりに、ポケモンのウツボッドを思い出していた。
巨大な口を開けてせわしなく動き回る食虫植物の姿だ。
ウツボッドとまでは言わないが、人間を食べてしまうほど大きな植物が、現代に復活して繁殖したらと考えると、それはそれで気苦労が増えそうだ。
山登りに出かけた人たちが、生えていた植物に襲われて逃げ惑っている様子を想像しながらも、私の頭の中では、まだ雄大なテーマソングが流れている。
「植物に食い殺されるのだったらどう?」
今度は母にそう訊いてみようと思った。
記事:https://www.sciencenews.org/blog/wild-things/could-dinos-%E2%80%98jurassic-world%E2%80%99-become-invasive