新たなる挑戦
ふと、プログラム言語を勉強してみたいと思った。
現代はネットの時代だし、生活のあらゆる場面でコンピュータの世話になっている。
仕事にしろ、日常生活にしろ、私にもある程度の知識があれば今後何かの役に立つかもしれないと、誰もが考えそうな安易な気持ちから、そんなことを考えた。
・・・わけではない。
上記の動機は確かにあるし、実際に覚えていればかなり役には立つのだろう。
だが正直に言うと、プログラムができる人ってなんとなくかっこいい感じがする。そう思ったのだ。
数年前にやっていたテレビドラマで、IT会社の社長を演じる小栗旬を見てかっこいいと思った記憶も残っていたし、共演していた石原さとみもとても可愛かった。
なんとなくオシャレでインテリな感じがしたし、プログラムなんかができれば、あんなドラマみたいな洗練された知的な出会いもどこかにあるのかしら。
そんな単純で不純な動機が、私の脳内で与党の座を占めていたことは否めない。
無論、私は小栗旬ではない。私の身長も顔も小栗旬には程遠い。まさに月とすっぽん。
それに、実際にプログラムを生業としている人にとって、それは目を酷使する過酷な作業なのだろう。
だが私の場合、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのように、あっと驚くような発明をして世界を変えてやるなどと、鼻息荒く励むつもりもない。
いや、鼻息は多少荒いかもしれないが、そもそも目的の次元が自分でもびっくりするほどくだらない。
とはいえ、プログラム言語ができる人はかっこいいという、一種の命題じみた観念が私に行動を促したことは事実なのだ。
しかし残念なことに、私は全くのコンピュータ音痴である。
一応、学生時代にレポートや発表に追われていたおかげで、ブラインドタッチはできるようになったし、パワーポイントの使い方も心得てはいる。
だが、HTMLもわからないし、プログラムなんて夢のまた夢。
そちらの方面に詳しい方からすれば、素人がそんな不純な動機で簡単に手を出す分野ではないのかもしれない。
だがまあ、何事にも最初の一歩はあるものだし、私がそれを勉強して誰かが困るわけでもない。
そんなわけで、まずはネットでプログラム言語について調べてみた。一言でプログラム言語といっても、実に様々な種類があるのだ。
Java、C言語、PHP、…etc.
私にはどれがどれに適していて、どれがどれに適していないのかもよくわからなかったが、一応調べてみた結果、C言語を学んでみることにした。
決して低いハードルではないらしいが、知っておいて損はないらしい。
もしやってみてダメだったら、そのときはそのときでまた考えればいい。
私は早速、書店に出かけた。テクノロジー関連の本を集めたコーナーに恐る恐る足を運ぶ。
しかしパソコン書籍が並ぶ棚の前に行くと、そこには先客がいた。
メガネをかけた、見たところ中学生くらいの少年が、辞書ほどの厚さのある本を立ったまま広げて読んでいたのだ。
片手を顎のところに当てて、なにやらふむふむと頷いていたが、その姿はどう見てもコナンには見えなかった。
四角いメガネをかけたのび太くんといった感じだった。身体だけではなく、頭脳もやはり子供なのだ。
十中八九、少年はその本の内容などわかってはいないだろう。ただ周囲の大人たちに、頭をよく見せようとして見栄をはっているだけなのだ。
しかし、そんな大人げないことを考えてしまう私も、やはり少年時代に、同じようなことをやっていたことをここで告白しておく。
メガネこそかけてはいなかったが、経済書が並ぶ棚の前で、仰々しくマックス・ウェーバーなんか広げてみたりしていた。そして、近くを通り過ぎる大人たちを横目に、空虚な妄想で優越感に浸っていたものだ。もちろん、何が書かれているかなんてこれっぽっちもわかってはいなかったのだが。
だから私がのび太くんのことをどうこう言える立場ではない。きっとそういうお年頃なのだ。
私は数ある本の中から、一冊の本を抜き取った。
一番値段が安かったからというのもあるが、分厚い本なんか買っても、いきなり最後まで読み切る自信が私にはあまりなかったからだ。
本を持ってレジに向かおうとしたとき、のび太くんがちらりとこちらを見た。やはりコナンよりものび太に似ている。改めて私はそう思った。
家に帰って、さっそく袋から本を取り出した。
まあ、やるだけやってみよう。
そう心の中で呟いて、最初のページを開いた。
さて、私はこれからちゃんと勉強して、プログラム言語を身に着けることができるのだろうか。
それは誰にもわからない。